Casual Duel Monomaniac

カジュアル遊戯王の多様性を探究しています。また『デュエルラボ』として動画・非公式アプリケーションツール製作に携わっているフリをしています(詳細はリンクからお願いします)。屁理屈が好きです。

カジュアルにおける「環境」

歳末ご多端の折、皆様如何お過ごしでしょうか。

お久しぶりです、N@SEです。

 

年の瀬ですが特に気の利いた小話の用意も御座いません故、一つ最近のカジュアル遊戯王に対する私自身の拙い考えをまとめ、挨拶と代えさせて頂きます。 

 

 

 

私事ですが、ご縁があり年明けに遊戯王のデュエルオフ会なるものに参加させて頂けることとなりました。

出不精である私は普段そのような場所に足を運ぶことがあまり無く、面識が無い方とプレイする機会は主に大会やショップでフリーデュエルを申し込まれた時くらいしか御座いません。

そこで、カジュアルに関して常日頃から感じていたことを改めて考えてみることにしました。

 

TCGを嗜まれている方々は「環境」という言葉をよく耳にすると思います。

これは主に現在の流行というような意味で用いられます。

その時の流行、それに対する対策、さらにその対策といった具合に、一見鼬ごっこに見える繰り返しによって様々な構築や戦法が繰り返し発生しては消えていく優劣関係の変遷。これが「環境」であり、「環境」はTCGの醍醐味だと言えるでしょう。

 

もう少し細かく分類してみることにします。一般的にTCGにおける「環境」という単語はトーナメントプレイに対して使用されます。トーナメントではゲームの性質上、全員が勝利という共通の頂点を目指します。その場合、使用可能なカードは無数に存在しますが、カードパワーに上下関係がある以上皆大まかな枠組みは基本的に強力な物を選択する必要があります(例外の方もいらっしゃるとは思いますが)。多くの人に選択される大まかな枠を今日の流行と捉え、その中で勝利を掴むために自分が用いる戦術を選択・構築する手掛かりとなる外部情報こそがトーナメントにおける「環境」だと私自身は考えております。

 

ではカジュアルではどうでしょうか。

カジュアルプレイでは各プレイヤーの目指す頂点が統一されておりません。自分の決めたい戦術を披露する、アニメや原作漫画に登場するデッキや戦術を再現する、勿論トーナメントの目標であった「デュエルに勝利する」を目標に掲げる方もいらっしゃると思います。 

各個人の目標が統一されていない以上、カジュアルという場に存在する構築や戦術の数は無限大です。それ故プレイヤーの構築が全て近しいものになるということはあまり無く、構築そのものを「環境」という括りで分類することは大変難しく思います。

 

しかし、昨今では決闘動画など他人のデュエルを容易に見ることが可能である他SNSの発展などの影響もあり、オンオフ問わず交流があるプレイヤー同士の戦術や戦法はある程度共有されていると言っても過言ではありません。すると興味深い戦術は模倣されたりアレンジを加えた上で別のデッキに反映されたりと、かなりの範囲に拡散されていくことがあります。

 

また前述の通り各個人の目指す結果は異なりますが、その目標へのアプローチには共通する点が見られます。

例えば、「複雑なコンボを決める」と「アニメでの戦術を再現する」という目標を比較した場合、その過程においてどちらも「必要なパーツを集める」というアクションが要求されます。そして「必要なパーツ集める」は以下のようなアクションによって構成されていると考えられます。

・デッキからカードをドローして手札に引き込む

・デッキから必要カードをサーチする

・目標構築途中のフィールドや手札を維持する

他にも様々なアクションが存在するとは思いますが、主だったこの3点においてもそれぞれを可能にするカードやコンボはテーマや種族・属性などの縛りが無い限りはある程度限定されるでしょう。そして、手法が限定される以上、そこには共通点が発生する可能性があります。

 

つまり、異なる目標の達成を求める人間や構築の集合にも共通知識は存在し、それこそがカジュアルプレイにおける「環境」なのではないかと自分は考えております。

 

大まかな流行として存在し、構築の細部に自分の技を光らせ勝利という目標を達成するための情報となるのがトーナメントプレイにおける「環境」。

それに対して、様々なプレイヤーの知恵が完成させた手法として存在し、自分の定めた目標を達成するための道具となるのがカジュアルプレイにおける「環境」なのではないでしょうか。

 

 

 

私は、先ほど述べた「お互いの目標が異なる」という性質はカジュアルの醍醐味の一つだと考えております。目標が異なる場合、相互の目標を一度のデュエルで達成できる可能性があるからです。

したがって最近は、カジュアルにおける「環境」の理解を深めることによりこの相互目標の達成に近づけるのではないかと考えている次第でございます。

勿論この思考の意味に私自身も未だ懐疑的であるに加え完全な自己満足・自己陶酔に変わらぬ蛮行と申されれば返す言葉もございませんが、オフ会という場に参加させて頂くこの機会を好と捉えカジュアルに対する1アプローチとして考察してみるに至った所存にございます。

 

 

 

未熟さ故大変長文となってしまいましたが、ここまでお付き合い頂けた方々には心よりお礼申し上げます。

大変偏った考察ではございますが、完読して下さった皆様の思考に僅かでも刺激を提供できれば幸いです。

 

 

本駄文をもって今年のカジュアル遊戯王に関する記事の〆とさせて頂きます。

もう一つカジュアルとは若干異なる内容の記事の更新を予定しております故、宜しければそちらもご覧くださいませ。(あくまで予定ですので更新されなかった場合はご容赦を)

 

企画「Casual Duel Paranoia」に関しましては新年に良い御報告ができると思います。毎度申し訳ありませんが、今暫くお待ち下さいませ。

 

 

 

それでは、御年も一年間ありがとうございました。

来年もまた宜しくして頂ければ幸いにございます。